【人生】真面目ということについて感じること
皆さんこんにちは、遊星です。
真面目な性格は、なろうとしてなれるものではなく、持って生まれた天性という点で、とても素晴らしい性格、気質であると言えます。
真面目と聞いてパッとイメージできるものとして
・何事にも真剣に取り組む
・ルールや規範を守る
・「良い」とされることに取り組む
などがあります。
これらは、社会的に見てもとても素晴らしいことばかりです。
ですが、真面目な方からは
真面目すぎて苦しい
という声もちらほら聞こえてきます。
なぜ素晴らしい気質である真面目は、時に苦しさを産んでしまうのでしょうか。
真面目が苦しい理由
真面目ということに関わらず、人間が苦しくなってしまう原因として
自分の望みが満たされていない
ということが挙げられます。
特に子供などは、自分の望みが満たされていないと、泣きじゃくったりすることでそれを表現しますが、歳を重ねるとそうはいきません。
そして、我慢や見て見ぬ振りをしてなんとかやり過ごしますが、結局苦しさばかりが募っていくことになる。
こういった観点から先ほど挙げた、真面目と聞いてイメージできるものをもう一度見てみましょう。
・何事にも真剣に取り組む
→望んでいないことにも真剣に取り組んでしまう
・ルールや規範を守る
→自分を殺してまで、組織や社会に適応しようとする
・「良い」とされることに取り組む
→自分にとって「良い」ことよりも、一般的に「良い」とされることを優先する
このように、真面目な気質の長所は、同時に短所にもなり得てしまいます。
そして、どれにも共通しているのが、自分を犠牲にする、ということです。
自分を犠牲にするということは、自分が望んでいることよりも、周りが望んでいることを優先するということ。
もちろん、集団生活をしていく上で、こういった要素はどのような人間にも必要なものです。
ですが、あまりにも自分を犠牲にしすぎて、自分を大切にしていなければ、苦しくなってしまうのは当然であると言えます。
真面目の長所を生かすには
先ほど、真面目な方が苦しい理由として、「自己犠牲」を挙げました。
ですが、苦しいからといってそういったことをやらないわけにもいかないのが人間の難しいところです。
何度も言いますが、真面目という気質は天性の素晴らしいものなので、短所を消し、長所を伸ばすようにすれば、毎日が素晴らしいものになります。
では、真面目の長所を生かすにはどうすれば良いのでしょう。
自己犠牲が悪いということではありません。
自分が望んでいるものを満たせてあげてないのに、自分を犠牲にする
ということが問題なのです。
ですので、真面目で苦しい方は、自分が何を望んで、何を望んでいないのかを常に意識して生活してみる必要があります。
こうすることで、望んでいるものには今までよりも熱心に取り組むことができますし、そうでないものについては、ある程度手を抜いたり、他の人間と協力したりして取り組むことができます。
真面目な方というのは、他人に仕事を任せたりするのが苦手で、全てを自分でこなしてしまおうとしてしまいがちですが、このようにして他人の力を借りることで、より真面目に望んでいることに取り組むことができるのです。
自分に対してワガママでいい
ここまでお話していく過程で、真面目な方は
自分の望んでいることだけに真面目になるって当たり前じゃない?
と思われたのではないでしょうか?
こう思うこと自体が真面目な証で、本当に素晴らしいことです。
真面目でない方にとっては、望んでいることだけに熱心になるのは当たり前ですから。
ですが、自分の望んでいるものを満たしてあげないと、いつまでもこの苦しさからは解放されません。
でも、そんな自分はイヤだ
と思われる方もいるかと思います。
でもいいんです。今は自分にワガママになってみましょう。
こうして自分を満たしてあげると、自分が望むものがどんどん増えていきます。
つまり、真面目に取り組むことのできるものが増えていくのです。
最初から自分の真面目という枠を作るのではなく、成長していく過程でその枠を広げていく。
このような道を進んでいけば、素晴らしい人生が広がっていきます。
今回は以上になります。
真面目で苦しいという方は、自分の望んでいるものに対して敏感になってみてください。
自分が望んでいることを満たしてあげることに「真面目」になってみましょう。
ご意見などありましたら、遠慮なくコメントして頂けると嬉しいです。
コメントには記事にて返信させて頂きます。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
心よりの感謝を。
遊星
【人生・うつ病】諦めるということの意味について
皆さんこんにちは、遊星です。
僕は現在うつ病の療養のために、仕事も何もせず、毎日を過ごしています。
この状態になってもう二年近くなりますが、最初の一年間は本当に苦しかったです。
出口の見えないトンネルを進まされてるようで、毎日もがきにもがいていました。
もともと、大学院に在籍していて、就活の間際にうつ病が悪化して実家での療養生活に戻っていたので、早く大学院に復帰して「普通の」人生に戻らないと、と毎日のように思っていました。
ですが、今となっては、もうあそこには戻りたくないし、戻れない、普通の人生は自分には無理だと思っています。
諦めがついた
こう思うようになってから、生きるのが非常にラクになりました。
自分の望む道へと進むわけですから、当然と言えば当然なのですが。
僕がこのように思うようになった理由の1つに、「諦めがついた」ことが挙げられます。
今までの僕は、自分のできないこと、向いてないことを必死にやろうとしがみついてきました。
そのために必要な努力は自分に鞭を打ちながらやっていましたし、ストイックに自分を追い詰めていました。
それで、結局パンクしてしまったわけです。
そして、うつ病が悪化してもなお、そこにしがみついていようとしていたので、当然辛いし苦しい。
で、時間が経って少し冷静になると、自分には無理だな、と思うようになったのです。
諦めがついたんだと思います。
自分にきちんと向き合うこと
どうして諦めがついたのか、未だによくわかっていませんが、自分という人間について少しずつわかってきたことが、原因の1つだと思います。
こうあるべき、という自分の理想のようなものにしがみついてきたわけですが、1回底まで落ちて、きちんと眺めてみたら、ぜんぜん違う自分でした。
思ってるより子供で、思っているより弱くて、ダメダメな人間だなぁと認識したのです。
ですが、このように自分の本来の姿を直視しないと、いつまでも違った自分、道にしがみつくことになり、それは苦しみしか生みません。
このことに気づいてから、自分を素直に捉え直すことを意識して生活していました。
そうして、また0から自分を知っていくうちに、自分には無理なこと、できないこと、がわかってきたのです。
こうして、諦めることに至りました。
諦めることについて
諦めるという言葉は、世間的にはあまりいい言葉として捉えられていません。
それは、「1つのことを途中で止めてしまう」という側面ばかりがクローズアップされてしまうからでしょう。
また、成功している著名人などが、諦めないことの重要性を説いているのも、否定的に捉えられている要因だと思います。
そうした考えを否定するわけではありません。
ですが、1つの道を諦めると、違う道を進むことに繋がります。
つまり、諦めることによって、前に進めるのです。
僕のように諦めずにずっと止まっているようなら、別の道を考えてみることも必要なのではないか。
そのためには、自分が心から望んでいること、自分の本来の姿を正面から捉える必要があります。
そうした面倒で苦しい行程を踏めば、諦めが良い方向に働くと、僕は思っています。
今回は以上になります。
1つの道を諦めることができずに苦しいままの人がいます。
自分が本当に望んでいることは一体何なのでしょうか。
何かご意見などあれば、遠慮なくコメントしていただけると嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
心よりの感謝を。
遊星
【人生】ストレスに上手く対応するには?〜ぼっちのススメ〜
皆さんこんにちは、遊星です。
現代に生きる我々にとっては、自分に降りかかる数々のストレスに対応することがとても重要ですよね。
人間関係や仕事、育児、お金、などなど数え上げればキリがないほどのストレスがある世の中。
うまく対応することができないと、余裕がどんどんなくなってしまい、疲れもたまっていく一方です。
僕もストレスでいっぱいになってしまうことがよくあり、そうなるとアタマはパニックになるし、イライラはたまるし、サイアクです。
これを解消しようと、人やものにあたったり、暴飲暴食をしてみたりしますが、あとあと自己嫌悪の波にさらわれてまたストレスが。。
一体どうすればよいのでしょう。
自分が感じているストレスを正しく理解する
ストレスを抱えている人の多くが、実は自分が何に対してストレスを感じてるのかについてはっきりとわかっていません。
なので、漠然としたストレスに対応のしようがなく、僕のように人やものに当たったりして、一時的にストレスを発散しようとするのです。
つまり、ストレスをしっかりと解消するには、自分が何に対してストレスを感じているのかを正しく理解することが重要です。
そのために必要なことが、自分のアタマの中を整理することだと僕は思っています。
ですが、自分のアタマの中を整理するといっても、これは簡単なことではありません。
アタマの中を整理する
なにが簡単ではないかというと、めんどくさいんです、はっきりいって。
ストレスを感じるくらいですから、自分にとって嫌なことなわけです、ほぼ確実に。
整理するとなるとその嫌なことに向き合わないといけない、これがかなりめんどくさいしシンドイんですよね。
なので、整理しようとしても最初は嫌だなぁとなって、それもストレスになりかねません。
無理はせず、これが限界だというところで止めるようにするのが重要です。
ですが、このアタマの中を整理することを何回も繰り返していくと、だんだんとストレスの実体をつかめるようになってきます。
今までは漠然とした「何か」に対して悶々としていたのが、少しずつその「何か」がはっきりとしてくる。
こうなると、ストレスに上手に対応することができるようになっていくのです。
言語化することが重要
アタマの中を整理することが重要であることがわかったところで、どのようにして整理すればいいかわからないとどうしようもないですよね。
最も重要なのが、「言語化する」ということだと僕は思います。
先ほどもお話ししましたが、ストレスの実体をつかむことが重要なわけです。
それをする上で、自分で「視る」ことができるようになること、つまり「言語化」できないといけない。
よく言われるのが、文字に起こすことです。
ノートなどに書きなぐったりでもいいですし、今だったらスマホのメモ帳などに書き散らすのでもだいぶ違います。
後から見返せるので便利です。
僕はこれ以外にも、一人でブツブツつぶやいたりしてます。
呟くといっても、Twitterではないですよ?
自分の隣に誰かがいる前提で、その誰かに対して自分の思っていることを素直につぶやく。
これをすると、自分が本当に感じていることが声の形で外に出てスッキリします。
僕のようなぼっちの方にもオススメの方法ですね!(自虐)
今回は以上になります。
ストレスを溜め込んだままにして無理をすると、うつ病などの精神疾患にも繋がりかねません。
アタマの中を整理して、自分にしっかりと向き合うことがとにかく重要です。
何かご意見などありましたら、遠慮なくコメントしていただけると嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
心よりの感謝を。
遊星
【神経症・うつ病】考えるのではなく感じることの重要性
皆さんこんにちは、遊星です。
僕はこれまでに神経症とうつ病を経験してきましたが、現在はこれらの症状が少しずつ落ち着いてきて、色々なことができるようになってきました。
今のこの状態から苦しかった時を振り返ってみると、考えてばかりいて、「感じる」ということを軽視していた、といつも思います。
葛藤にこだわると苦しい
神経症やうつ病で苦しんでいる状態では、必ず自分の中に何かしらの「葛藤」が存在し、その葛藤にこだわるあまり、苦しみが産み出されてしまいます。
そしてその葛藤を解決するために、様々なことを考えますが、結局答えが出ずに一日が終わる。
このような毎日の繰り返しだったな、と今は思います。
感じることの重要性
そんな苦しい毎日を1年と少し過ごしていた頃に、マインドフルネスストレス低減法 (MBSR)と呼ばれる治療法に出会いました。
この治療法は、瞑想を通じて自分の注意や集中力を磨いて、自分の中の葛藤や思考に振り回されることを減らし、苦しみを和らげることを目的としています。
そして瞑想では、自分の呼吸の感覚や身体の感覚に注意を集中するので、「考える」ことよりも「感じる」ことを大切にするのです。
自分の中の葛藤や思考ではなく、身体の感覚を大切にしていると、一歩引いた目線から自分を眺めることができるようになります。
この客観的な視点が、苦しみを産んでいた葛藤や思考の誤りを見抜くことに繋がり、これを繰り返すことで「考えることの限界」を少しずつ認識し始めます。
思考の限界
人間や世の中というのは、白か黒かや0か1かで割り切れるほど簡単なものではありません。
一方で、我々人間のアタマは白か黒か的な二極思考が得意分野で、この論理を無理やり全てのケースに当てはめようとします。
そうなると、当然割り切れない部分が出てきて、そこで葛藤や悩みが生じてしまい、結局は苦しみに繋がってしまいます。
ですが、考えることの限界を認め、葛藤や悩みを「観察し」、日々の生活で感じることを大切にしていると、不思議とあれほど苦しんでいたものが少しずつ溶けていくのです。
感じることは、いわば自分がもっとも望んでいるものですから、それを大切にすることで自分が満たされ、葛藤や悩みといったものが自然と解消されるのだと僕は思います。
今回は以上になります。
我々が思っている以上に、考えることで解決できることな少なく、感じることで得られるものは大きいのです。
日々の生活から感じたものを大切にしていきたいものですね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
心からの感謝を。
遊星
【神経症・うつ病】考えるのではなく感じることの重要性
皆さんこんにちは、遊星です。
僕はこれまでに神経症とうつ病を経験してきましたが、現在はこれらの症状が少しずつ落ち着いてきて、色々なことができるようになってきました。
今のこの状態から苦しかった時を振り返ってみると、考えてばかりいて、「感じる」ということを軽視していた、といつも思います。
葛藤にこだわると苦しい
神経症やうつ病で苦しんでいる状態では、必ず自分の中に何かしらの「葛藤」が存在し、その葛藤にこだわるあまり、苦しみが産み出されてしまいます。
そしてその葛藤を解決するために、様々なことを考えますが、結局答えが出ずに一日が終わる。
このような毎日の繰り返しだったな、と今は思います。
感じることの重要性
そんな苦しい毎日を1年と少し過ごしていた頃に、マインドフルネスストレス低減法 (MBSR)と呼ばれる治療法に出会いました。
この治療法は、瞑想を通じて自分の注意や集中力を磨いて、自分の中の葛藤や思考に振り回されることを減らし、苦しみを和らげることを目的としています。
そして瞑想では、自分の呼吸の感覚や身体の感覚に注意を集中するので、「考える」ことよりも「感じる」ことを大切にするのです。
自分の中の葛藤や思考ではなく、身体の感覚を大切にしていると、一歩引いた目線から自分を眺めることができるようになります。
この客観的な視点が、苦しみを産んでいた葛藤や思考の誤りを見抜くことに繋がり、これを繰り返すことで「考えることの限界」を少しずつ認識し始めます。
思考の限界
人間や世の中というのは、白か黒かや0か1かで割り切れるほど簡単なものではありません。
一方で、我々人間のアタマは白か黒か的な二極思考が得意分野で、この論理を無理やり全てのケースに当てはめようとします。
そうなると、当然割り切れない部分が出てきて、そこで葛藤や悩みが生じてしまい、結局は苦しみに繋がってしまいます。
ですが、考えることの限界を認め、葛藤や悩みを「観察し」、日々の生活で感じることを大切にしていると、不思議とあれほど苦しんでいたものが少しずつ溶けていくのです。
感じることは、いわば自分がもっとも望んでいるものですから、それを大切にすることで自分が満たされ、葛藤や悩みといったものが自然と解消されるのだと僕は思います。
今回は以上になります。
我々が思っている以上に、考えることで解決できることな少なく、感じることで得られるものは大きいのです。
日々の生活から感じたものを大切にしていきたいものですね。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
心からの感謝を。
遊星
【神経症・うつ病】うわべだけの感謝が持つ危険性〜自分に対して素直になる〜
皆さんこんにちは、遊星です。
巷で売り出されている自己啓発本のような類のものは、必ずといっていいほどに「感謝の気持ち」を持つことの重要性を説いています 。
僕も、神経症やうつ病を患ってから本当に自分のことしか考えていなかったな、と反省の気持ちを毎日のように感じています。
特に、これらの病気による苦しみは自分に固執するあまり産み出される事ばかりなので、そういった意味で周りの色々なことに感謝の気持ちを感じながら生活することは極めて重要です。
しかしながら、他人に感謝の気持ちを持てと言われてする感謝ほど、薄っぺらいものはないのではないか
とも思います。
感謝を「しなければならない」
僕が神経症やうつ病で苦しんでいた時、本当にたくさんの自己啓発本の類のものを読み漁りました。
その中に決まって出てきたのが、感謝をすることへの重要性です。
今振り返ると、そもそもそういったもので、いわば「インスタント」に苦しみから抜け出そうとしていた自分に問題があったのですが、そうはいうものの、苦しい時には何かにすがりたくなるのが人間というものです。
そして、感謝を「しなければならない」という思いで日々生活していましたが、一向に苦しみからは抜け出せませんでした (そもそも、苦しみから抜け出すことを理由として自己啓発本を読むという発想が誤っているのですが) 。
感謝という言葉により自己嫌悪に
そうした生活を続けていくうちに、自分の中で限界がきて、当時通っていた大学院を休学しました。
そこから出口の見えない苦しい1年間を実家で過ごし、時には親や自分の環境を恨んだりもしました。
ですがその度に、脳裏に「感謝をしなければならない」というワードがちらついて、自己嫌悪の波にさらわれるのです。
特に、離婚した両親について、極めて強い憎悪の念が湧き上がってきた時には、
自分を生んでくれた両親に対してそういう思いを持つなんて、自分は生きているべきではない
と感じました。
苦しみの底で見えたもの
そういったことを思って苦しみに苦しんで、実家に戻ってから1年と少しほど経ったある日
苦しみや憎しみといったものも、大切な自分の一部なのだ
という心境が僕に訪れました。
今までの僕は、感謝、楽しみ、幸せ、といった自分にとって都合のいいものを自分と捉え、そうではないものを自分ではないと決めつけ、排除しようとしていました。
ですが、苦しみにまみれた果てに、「全てが自分で一体なのだ」と思うようになったのです。
自分に対して素直になるということ
このような心境になってから、今までの自分にとっては邪魔なものだった感情などにも、しっかりと自分の中で向き合えるようになりました。
自分にとって善いものと悪いものの区別をしないように心がけたのです。
この心がけを持って生活していると、自分に執着している状態から抜けた視点から考えることができるようになるので、
どうして自分がこういった憎しみや苦しみといった感情を持つのか
ということが少しずつわかってきます。
そしてそのどれもが、自分に対する自分の心からのメッセージであったことに気がつくのです。
自分にとって辛いことがあった、だから苦しい
自分にとって辛いことをされた、だから憎い
素直にこう思えば、何も問題はないはずです。
なぜなら、それが自分にとっては事実なのですから。
このように素直に自分の気持ちを感じ取っていくうちに、今まで満ちることのなかった自分の心が満たされていき、心から「感謝したい」と感じるようになりました。
そして、心からの感謝を持つものこそが、自分にとって大切であることが理解でき、今まで自分がこだわってきたりしがみついてきたものが、心から望んでいるのものではないことに気がつくのです。
今は、少しずつ「自分の」人生が進み始めていると、心の底から思います。
今回は以上になります。
うわべだけの言葉に乗るのではなく、自分が感じていることを素直に受け止める。
そういったものを乗り越えた上で、心からの感謝の気持ちを持てるようになるのでないかと思うのです。
何かご意見などありましたら、遠慮なくコメントして頂けると嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
心からの感謝を。
遊星
【神経症・うつ病】健康を求めるあまり「不健康」になっていないか?
みなさんこんにちは、遊星です。
僕は、現在大学院に在籍していますが、大学入学時に神経症と自律神経失調症を、大学3年生の時にうつ病をそれぞれ発症し、大学院1年生の秋にうつ病が悪化して休学をすることになりました。
こういったことを経験してから、常に体調に気をつかうようになりました。
睡眠・食事・運動、などなど健康にまつわることにはとにかく神経質になり、徹底的に情報を集めたり、様々な努力を日々の生活から行なっていました。
具体的には
寝る前の数時間はうまく眠るための時間に費やす
好きなものではなく、栄養素を重視した食事にする
ジョギングを毎日行う
などなど、ほんの一例ですが、このようなことを行なっておりました。
ですが、こういった努力も虚しく、一向にうつ病によって崩れた体調は快方に向かってはいきませんでした。
そして、
もう無理だな
と、開き直って健康に関する努力を一回ストップして、ある程度自分の欲望に従って生活してみたところ、だんだんと肉体的にも精神的にも充実してきたのです。
健康にこだわりすぎるあまり「不健康」になる
なぜこのように健康にこだわるのをやめたら、逆に健康へと向かっていったのでしょうか。
色々な理由があると思いますが、僕は生物の観点から解釈をしています。
思うに、人間、というより、生物の身体は本当によくできています。
進化の過程で獲得してきた様々なものが、種の生存、つまり「生きる」ことに極めて合理的にプログラミングされているのです。
その獲得してきたものの中には、「欲望」も含まれています。
〜したいという本能的な欲望は種の生存に直結し、少なくとも食欲に関しては食べたいと感じるものを食べていれば健康に生きていくことができるようになっています。
しかしながら、世間では「健康」に対する様々なポジティブキャンペーンが行われていて、まるで不健康でいることが「悪」であるかのような雰囲気すら感じてしまいます。
そういったものを無意識に感じ取り、うつ病などで体調を崩している自分を「悪」としてしまい、自分が望んでいる食べ物や睡眠などを無視して、世間では「善い」とされることを無理に身体に強制してしまうのです。
こうすることで、自分が本当に望んではいないものを日々の生活に取り入れることになってしまい、体調が一向に良くならないのではないかと感じています。
もちろん、健康にまつわるもの全てが無駄であるとか、そういったことでは全くありません。
単に善いとされるものだけを自分に強制するのではなく、「自分が何を望んでいるのか」をしっかりと意識して行動する。
こういった意識を前提として持っていなければ、情報に踊らされ、健康にこだわりすぎるあまり「不健康」になってしまうのです。
今回は以上になります。
自分が欲しているものを丁寧に感じ取り、それを自分に与えてあげれば、心は落ち着き少しずつ健康へと向かっていくでしょう。
しかし、自分が真に欲しているものはなかなか見えにくく、生きていく過程で切り捨ててしまっていることも少なくありません。
そういったことと向き合って、心の休息をしっかりととる。
そうすることでうつ病は回復に向かい、新しい自分へと変わっていくのだろうと思います。
何かご意見などあれば、遠慮なくコメントして頂けると嬉しいです。
最後まで見ていただき、ありがとうございました。