遊星の「マインドフル」で生きる人生

当ブログを訪問してくださりありがとうございます。遊星です。私は、10代にして神経症、うつ病を患い苦しみに苦しみ抜いた果てに、「マインドフルネスストレス低減法 (MBSR)」と呼ばれる「生き方」に出会いました。当ブログでは、MBSRと神経疾患を絡めた記事や、単に生活していく中で気づいたことを書いていきたいと思っています。このブログを読んでくれた方が少しでも楽になれば、これほどの喜びはありません。

うつ病と観念主義的な生き方〜本当の自分はどこ?〜

皆さんこんにちは、遊星です。今日自転車で30Km程走ってきたのですが、財布を忘れてしまい非常に不便でした。次回からは気をつけないと。

 

マインドフルネスストレス低減法のエッセンスは、ストレッサー(ストレスの元となるもの)に出くわしても、善悪の判断ですとかそういったものを挟まずに、ただ「観察する」ことにあります。言葉で書くと非常に簡単そうですよね。僕も甘く見てましたが、これ、非常に難しいんだな、と最近感じております。

 

 

flyingbirds.hatenablog.com

 

おそらく、普通の健康な方なら無意識にやってのけてしまうほど易しいことなんだろうと思います。ではなぜ、僕のような神経症うつ病を患っている人にとっては難しいのか、考えてみました。おそらく、「観念主義的」な生き方に大きく傾倒してしまっているからだろうと思います。

 

観念主義というのは、要するに「理想」に沿って生きていくということです。でも理想って普通の人にも当然あるわけで、理想は別に悪いものではありません。しかし、神経症うつ病を患っている人の理想は、病的なほど高いもので、現実的には考えられないような水準のもののことが多いのです。そういった理想(妄想といった方が適切ですが)を掲げて、いざ現実の自分を見てしまうと、

「悪い」

となってしまうわけです。何をするにも自分の中の理想と比べてそれより上か下か、善いか悪いか、の判断をせずにはいられない、それが結果的に病状の悪化を招いてしまうのではないか、と今日思いました。

 

よって、善悪の判断をせずに、「観察する」心構えを持つためには、観念主義的な生き方を手放す必要があるのです。これも言葉では簡単ですが、とても難しいです。なぜなら、自分の理想を捨てて、現実の「何もできない自分」(本当は何もできなくなんてないのだが)と向き合わなければならないからです。この作業は、観念主義的な生き方をしてきた人にとって、最も辛いものです。ですが、やはり観念の中の自分ではなく、現実の自分と向き合わないと、前には進めません。そうすることで、自分の身の丈にあった価値観、生き方が構築され、無理なく幸せな人生を送ることに繋がるのではないでしょうか。

 

今日、ふと思ったことをまとめてみた次第であります。