マインドフルネスストレス低減法は方法ではなく生き方のようなもの
こんにちは、遊星です。
マインドフルネスストレス低減法(MBSR)を実践していると、なんとなくコツというか、向かうべき方向性のようなものが見えてくることがある。あ、慣れてきたんだな、と感じて、安心することもあるかもしれないが、これが意外にも落とし穴になることも多い。
慣れる前は、色々なものに初めて触れることもあって、どの瞬間も自分にとって新鮮である。それが故に、「ありのまま受け入れる」であるとか、「今を生きる」といった、MBSRの根幹ともいうべき部分と「新鮮さ」がマッチし、計らずも良い状態、言い換えればマインドフルな状態になることができる。こうなると、自然と体調も上向いてくるし、心の状態も良くなる。
しかしながら、慣れてくると新鮮さは当然ながら失われてくる。すると、瞬間をありのままに受け入れられなくなり、「こうした方が体調にいい」だとか、「以前はこう意識したから今もそうしよう」などの、「こだわり」のようなものが出てくる。一見すると、こうした行動は成長したことの証左のように見えるが、MBSRとは真逆の方へ向かってしまっていることになかなか気づくことができない。
MBSRでは、「方向性」を持つことを許容しない。言い換えれば、前を向こうが、後ろを向こうが、それが「今」なのである。しかしながら、心の調子が悪い人は総じて真面目なため、自分にとって良かったものは「良い」と判断し、そこからその方向性に向かうことを自分に強制してしまう。これがマインドレスな状態に繋がり、だんだんと心の調子は下ってくる。
こうしてみると、
MBSRは「テクニック」として用いてはいけない
ということがわかると思う。テクニックというのは、あるものを解決するための「方法」のようなもので、解決するという考えには、悪い方から良い方へと向かうという意味での「方向性」が内包されてしまっている。この方向性があると、ありのままに生きる、今をしっかり生きる、ことは難しくなる。判断せずに今を生きることがMBSRの根幹であるから。
従って、MBSRにおいては、方法というよりも「生き方」という表現の方がしっくりくるかもしれない。方法というと、なんとなく良い悪いというか、この場面ではこうする、みたいなある種のマニュアル的なものになってしまって、ありのままに今を生きることに繋がりにくい。そうではなく、生き方として捉えれば、どのような自分でも許容するような土台ができやすい。そう感じる。
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