遊星の「マインドフル」で生きる人生

当ブログを訪問してくださりありがとうございます。遊星です。私は、10代にして神経症、うつ病を患い苦しみに苦しみ抜いた果てに、「マインドフルネスストレス低減法 (MBSR)」と呼ばれる「生き方」に出会いました。当ブログでは、MBSRと神経疾患を絡めた記事や、単に生活していく中で気づいたことを書いていきたいと思っています。このブログを読んでくれた方が少しでも楽になれば、これほどの喜びはありません。

うつ病でもなんでもいいからとにかく生きて欲しい。

僕は2015年、大学院1年目の10月にうつ病の症状が悪化してそこから実家で療養生活をし、現在まで至っている。もともと高校生まではほとんど問題なく、むしろ何かと「長」がつくもの、例えば部長や文化祭の実行委員長をこなしていたし、スポーツも苦手ではなかった。勉強は頭は良くなかったけどとにかく努力をこなして、高校でもかなり上の順位をキープしていた。まあ側から見れば「イケてる」奴だなぁと見られてたと自分でも思うし、ちやほやも多少はされていたと思う。そういった環境があれば、平凡な高校生であれば天狗になってしまうのはある意味では必然だと思う。例に漏れず、僕も天狗になっていた。有り体に言えば「図に乗っていた」のだ。

 

まあでも、本当に実力のあるスゴイ人なら天狗になっていたって、図に乗っていたって高校卒業して大学に入っても社会に出ても持ち前の実力一つでどうにかしてしまうのだろう。ただ僕は違った。単なる平凡な人間が、運とそれなりの努力でたまたま上手くいっていただけだったのに、大学に入学してからも自分がスゴイ人間だという気持ちを捨てられずにいた。ただ、大学に入ってしまえばそれこそ色んな人間がいる。周りを見てみると、僕はドがつくほどの平凡な人間で、取り立てて取り柄もないし、対して頭も良くない。だけど、「高校までの自分」にすがりつくことをやめられずに、レベルの低い自己満足のためにあらゆる形で自分のことを守った。大学で上手くいかなくなると塾のバイトで持ち前の「自分のための自己犠牲」を発揮して、受け持った生徒を全員第一志望の学校へ進学させた。対価をもらって働いた時間より、無償で働いていた時間の方が圧倒的に多かった。今考えれば「異常」以外の何物でもない。自分自身は全く満たされていなかった。「ここじゃない」と、次は再び大学で「自己犠牲スキル」を発揮させ、教授に気に入られるようにこれまたレベルの低い努力などをこなした。大学院も主席で入学した。だけど自分自身は全く満足していない。大学院に進学すると、後輩ができた。教授、後輩、実験、結果、、色々なものが僕をがんじがらめにして、「死にたい」と本格的に思うようになってきた。おそらく、僕よりスゴイ人ならば、「死にたい」と思っても頑張れてしまうのだろう。そして突き進んで突き進んで死んでしまう。だけど、僕はそこまで頑張れなかった。最後の最後で持ち前の「自己犠牲」を払うことができなかった。そして、誕生月の10月に大学院を休学した。自分はどこまで中途半端なやつなんだと感じたのは割とはっきり覚えている。

 

そして休学してから一年ちょい経つわけだけど、今の自分は満たされている。いや、完全には満たされてないよ?だってクリスマスなのに一人だし。まあでも、この程度の冗談を言えるくらいには満たされている。うつ病になってよかったか、と聞かれればもちろんそんなんいいわけねえだろって答える。あの苦しみはちょっと辛すぎるし。だけど、うつ病になった意味はあったか、と聞かれれば、まああったんじゃねえの?って答えるかな。

 

あの「死にたい」という思いがなければ、なんとかして卒業までこぎつけて、まあそれなりの会社に就職していたんだと思う。ただそうなると、まず間違いなく大学の親友とも呼べる同期たちとは散り散りになる。そして、勤務地も実家からは遠く離れた場所になっていただろう。そんな状況で、仕事がうまくいかなかったとしたら、というか大学の研究室レベルでうまくいっていなかったんだから、十中八九社会に出てうまくいくはずがない。となるとまあ間違いなく「死にたい」となるだろう。だけど、周りに頼れる人はいない。家族も仲間も。そうなるとどうなる?そう低くない確率で、数年後には僕はこの世にはいなかっただろう。よしんば死ななかったとしても、再起不能になってしまう程度のダメージを負うことになっていたのは間違いない。客観的に見て、僕はこういう人生を歩んでいた可能性が高い。

 

だけど、今はそれなりに満たされた気持ちで生きることができている。ということは、うつ病は僕を「救ってくれた」のではないか。もちろん、実家で療養している時も症状で辛くなったことは数え切れない。そういった中で人生を捨ててしまう可能性もあったわけだが、まあ結果的に生きている。何が自分にとって大切で、これからどう生きて生きたいかということを、しっかりとは言えないけど、それなりに考えることができている。けど、あそこでうつ病が出てきてくれなかったら?そう考えると寒気がする。うつ病は、全く満たされることのない僕を、もっとも危険な、だけど最も本質的な方法で救ってくれたのだと、今は思うようになっている。

 

まさか、こういう風に考えるようになる日が来るとは思わなかった。自分自身が、それなりにではあるが、満たされるようになる日が来るなんて、思ってもみなかった。自分はいつまで終わりのない努力を重ねれば良いのだろう。自分はいつになったら満たされるのだろう。ずっと考えてきたことだが、今は悪くない状況なのではないかと思っている。

 

何が言いたいか自分でもわかんねーって感じなんだけど、要するに「とにかく生きて欲しい」ってこと。うつ病でどんだけ辛くてもとにかく生きて欲しい。絶対に死なないで欲しい。これに尽きる。生きていればきっとどうにかなる、とかこんな無責任なことは言えないけど、少なくとも生きていないと何かは起こらない。死んでしまったら灰になって終わり、これは間違いない。そんなの悲しすぎるって。生きていれば割と死なないものだから。だから生きて欲しい。言いたいことはただそれだけ。